一日一曲(1844)レーヴィナ、ザーラ・アレクサンドロヴナ:ピアノソナタ第1番

 本日は、没後50年(1976年6月27日没)を迎えらえたウクライナの作曲家、ザーラ・アレクサンドロヴナ・レーヴィナさんの曲をご紹介します。

【ザーラ・アレクサンドロヴナ・レーヴィナ:情熱的なドラマと洗練された抒情を織りなす20世紀ソヴィエトを代表する女性実力派】
 ザーラ・アレクサンドロヴナ・レーヴィナは、1906年2月5日にウクライナ(当時はロシア帝国領)のクリミア半島にあるシムフェロポリに生まれました。幼い頃から音楽の才能を発揮し、高名なピアノ教師であるベルタ・ライングバルトやフェリックス・ブルーメンフェルトのもとでピアノを学び、自身も並外れた実力を持つピアニストへと成長します。彼女は早くに輝かしいコンサートピアニストとしてのキャリアを歩み始めましたが、作曲への情熱から、その道を諦めて作曲家としての人生を選択しました 。それでも自作の演奏は生涯にわたって続け、数多くのラジオ録音を残しています。
 彼女の毎日は、譜面台に置かれたショパンやシューマンの楽譜を演奏することから始まっていました。完璧な技術に裏打ちされた、優雅で自然な自由さに満ちた演奏スタイルは、彼女の作品そのものの作風にも深く反映されています。
 1930年代に娘が誕生すると、子どもに向けた多くの歌曲(声楽ミニチュア)を手がけ、これがロシア全土で大きな名声と評価をもたらしました。しかし、第二次世界大戦の勃発により、一時的にバシコルトスタン(バシキール)の首都ウファへと娘とともに疎開を余儀なくされるなど、激動の時代による苦難も経験しています。戦後の1940年代から50年代にかけて、洗練された室内楽やピアノソナタなどの傑作を次々と世に送り出しました。彼女の作品は、ダヴィド・オイストラフやマリア・グリンベルクといった当時を代表する巨匠たちによって好んで演奏されました。レーヴィナは1976年6月27日にモスクワでその生涯を閉じましたが、晩年まで創作意欲は衰えず、亡くなる直前まで自身のユダヤ系のルーツを反映させた「ヘブライ狂詩曲」の完成に全力を注いでいました。

【本日のご紹介曲:「ピアノソナタ第1番」】
 ピアノソナタ第1番は、レーヴィナがまだ19歳だった1925年に作曲された初期の重要な作品です。この楽曲は、彼女の最初の夫であるM. コソフスキーに捧げられています。
 若きレーヴィナの恐れを知らない瑞々しい感性がみなぎっており、伝統的な形式にとらわれない単一楽章(1つの楽章のみ)で構成されている点が特徴です。当時としては非常に大胆な調性や和声の革新に挑んでいながらも、決して音楽の自由な流れや有機的な結びつきを損なうことがありません。彼女が持つピアニストとしての卓越した感性と、形式に縛られない自由なヴィジョンが完璧に融合した名作です。

【聴きどころ】
1)単一楽章の中に凝縮された強烈なドラマ性
 全曲が1つの楽章の中にシームレスに収められており、冒頭から終わりまで途切れることのない力強くドラマチックな展開が繰り広げられます。押し寄せる感情の波のような緊張感に満ちた構成は、一瞬たりとも聴き手を飽きさせません。
2)恐れを知らない大胆な和声と革新的な響き
 19歳という若さで書かれた本作には、既存のクラシック音楽の枠組みを揺るがすような、自由で新しい和声進行や調性の試みが随所に散りばめられています。そのモダンで挑戦的な響きは、いま聴いても非常に新鮮です。
3)流麗で美しいメロディの自然な調和
 前衛的な響きや激しいドラマを持ちながらも、メロディ全体の流れは非常に自然でエレガントです。音楽の cohesion(結束性・まとまり)が美しく保たれており、旋律が心地よく心に響き渡ります。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
レーヴィナ、ザーラ・アレクサンドロヴナ:ピアノソナタ第1番

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