一日一曲(1873)シェリング、エルネスト:夜想曲「ラグーザ」
本日は、生誕150年(1876年7月26日生)を迎えらえたアメリカの作曲家、エルネスト・シェリングさんの曲をご紹介します。
【エルネスト・シェリング:神童から巨匠へ、そして子供たちに音楽の光を灯したアメリカの多才な至宝】
エルネスト・ヘンリー・シェリングは、1876年7月26日にアメリカ合衆国ニュージャージー州のベルヴィディアに生まれました。スイス出身の医師であり音楽家でもあった父親から初期教育を受けた彼は、類いまれな才能を発揮します。わずか4歳半でフィラデルフィアの音楽アカデミーにてピアニストとしてデビューを飾り、当時の新聞で「モーツァルトの再来」と絶賛されるほどの神童でした。さらに7歳という若さでパリ音楽院への入学を最年少で許可され、ショパンの弟子であるジョルジュ・マティアスに師事します。その後もリストの弟子であるディオニュス・プルックナーや、名教師テオドール・レシェティツキといった高名な指導者たちのもとで研鑽を積みました。
彼のキャリアにおいて最大の転機となったのは、1896年に名ピアニストのイグナツ・ヤン・パデレフスキの唯一の弟子となったことです。パデレフスキの導きによって、シェリングは神童から成熟した芸術家へと見事な脱皮を遂げ、二人は生涯にわたる深い友情を結びました。1900年のロンドンデビュー、そして1905年の成人としての北米デビューは大成功を収め、あるシーズンには186回もの公演を行うなど、20世紀初頭を代表する超一流のヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして国際的な名声を確立します。また、作曲家としても優れた手腕を発揮し、自身のピアノ作品や管弦楽曲を自作自演で披露して聴衆を沸かせました。
人生の後半において、シェリングは未来の聴衆を育てる活動に情熱を注ぎます。1923–1924年シーズンにニューヨーク・フィルハーモニックにおいて「子どものためのコンサート」を創設し、17年間にわたり指揮者・主宰者として何百万人もの子どもたちに音楽の素晴らしさを伝え、「アメリカの若い世代の音楽のゴッドファーザー」と慕われました。1939年11月18日にもカーネギーホールで同コンサートの指揮台に立ち、精力的に活動を続けていましたが、同年12月8日にニューヨークの自宅にて突発的な塞栓症のため63歳で急逝しました。その多才で誠実な生涯は、音楽界に大きな足跡を残しました。
【本日のご紹介曲:夜想曲「ラグーザ」(Nocturne à Ragusa)】
この作品は、シェリングが1926年に作曲したピアノのための美しい小品です。最愛の師であり友人でもあったパデレフスキのために書かれ、彼に捧げられました。パデレフスキはこの曲を非常に気に入り、1924年のシーズンには実に78回も演奏会で取り上げ、1927年には録音も残しています。
「ラグーザ」とは、現在のクロアチアにある世界遺産としても有名な美しい港町「ドゥブロヴニク」の古い呼び名です。シェリングがダルマチア地方の海岸を旅した際、その哀愁を帯びた美しい景色に深い感銘を受け、その時の印象がこの曲のインスピレーションの源となりました。楽譜の冒頭には、サファイア色の海に浮かび、夕暮れ時にきらめく街の灯りや教会の鐘の音をうたった詩が添えられており、まるで一枚の絵画のような情景が音楽で表現されています。
【聴きどころ】
1)哀愁を帯びた神秘的な揺らぎ
曲の冒頭は、ショパンの『子守歌』を彷彿とさせるような優しく穏やかな左手の伴奏に乗せて、静かでどこか物憂げなメロディが歌われます。サファイア色の海に波が穏やかに寄せているかのような、独特の哀愁漂う神秘的な雰囲気に惹き込まれます。
2)オーケストラのようなダイナミックな色彩の変化
さざ波のような静けさ(ピアニッシモ)から、感情が大きく波打つような激しい響き(フォルティッシモ)まで、強弱のコントラストが非常にドラマチックです。ただのピアノ曲にとどまらず、まるでオーケストラを聴いているかのような色彩豊かな音の移り変わりが楽しめます。
3)遠くから響き渡る圧巻の「鐘の音」
曲の後半にかけて、最初は遠くから、そして徐々に近づいてくるように、教会の深い鐘の音がピアノの豊かな響きによって再現されます。クライマックスを迎えた後、音楽は黒鍵と白鍵を交互に滑らせる美しいグリッサンドによって、まるで夢の中へ消えていくように静かに幕を閉じます。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シェリング、エルネスト:夜想曲「ラグーザ」
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