一日一曲(1779)シャイベ、ヨハン・アドルフ:リコーダー協奏曲変ロ長調

 本日は、没後250年(1776年4月22日没)を迎えられたドイツ作曲家、ヨハン・アドルフ・シャイベさんの曲をご紹介します。

【ヨハン・アドルフ・シャイベ:18世紀ドイツで作曲家・批評家として活動し、バッハの対位法を批判して「自然で歌うような音楽」を提唱し、古典派への道を切り拓いた先駆者】
 ヨハン・アドルフ・シャイベは、1708年5月3日、ドイツのライプツィヒに生まれました。父ヨハンは著名なオルガン製作者であり、幼い頃から音楽に囲まれて育ちましたが、当初は学問の道を志し、1725年にライプツィヒ大学へ入学して法律と哲学を修めました。しかし、父の事業の失敗もあり、次第に音楽の道へ専念することを決意します。
 1729年、彼はライプツィヒの聖トーマス教会のオルガニスト職に応募します。この時の審査員にはJ.S.バッハも名を連ねていましたが、結果は落選。この経験が、後に彼が展開するバッハ批判の背景にある個人的な遺恨となったという説は根強く残っています。1736年には活動の拠点をハンブルクへ移し、そこで音楽雑誌『批判的音楽家』を創刊しました。彼はこの誌面を通じて、「音楽は技巧に走るのではなく、自然で感動的であるべきだ」と主張。当時のバッハの音楽を「過度に人工的で混乱している」と痛烈に批判し、ドイツ音楽界を二分するほどの大論争を巻き起こしました。
 この論争を通じて名声を高めたシャイベは、1740年にデンマーク王クリスチャン6世に招かれ、コペンハーゲンの宮廷楽長に就任します。彼はここで王室の公式行事のための音楽を数多く手がけ、デンマーク音楽界の近代化において中心的な役割を果たしました。1746年に王が交代すると、宮廷の体制変更に伴い職を離れ、一時的にシュレースヴィヒへと移り住みます。そこでは音楽教育の傍ら、自らの音楽理論を体系化した著作の執筆や、多くの器楽曲の作曲に没頭しました。
 その後、1766年には再びコペンハーゲンへと呼び戻され、デンマーク王立劇場の顧問などを歴任。晩年は北欧の地で音楽界の長老として多大なる尊敬を集めました。彼の提唱した「旋律主義」は、後のハイドンやモーツァルトに繋がる古典派様式の種となり、音楽史に消えない足跡を残しました。そして1776年4月22日、第2の故郷となったコペンハーゲンにて、その波乱に満ちた生涯を閉じました。

【本日のご紹介曲:リコーダー協奏曲変ロ長調】
 この作品は、シャイベがデンマーク宮廷で活躍していた時期、あるいはその直前の充実した創作力を示す協奏曲です。当時、リコーダーからフルート(トラヴェルソ)への移行期にありましたが、シャイベはリコーダー特有の素朴で温かみのある音色を活かしつつ、最新のイタリア風の形式を取り入れました。
 作曲年:1740年代頃(デンマーク宮廷楽長就任前後と推定)

【聴きどころ】
1)歌うような旋律美
 シャイベが理想とした「自然な旋律」が随所に現れます。特にリコーダーが奏でる主題は、複雑な装飾に頼らずとも、耳に残る優雅で明快なメロディが特徴です。
2)対話を楽しむような楽器構成
 独奏リコーダーと弦楽合奏が、互いの旋律を引き立て合うように応答します。バロック時代の重厚な合奏形式から、より軽やかで風通しの良いアンサンブルへと進化している様子が感じ取れます。
3)緩急の鮮やかなコントラスト
 活気に満ちた急速楽章と、切々と語りかけるような緩端楽章の対比が見事です。リコーダーの音域を巧みに使い分け、楽器の持つ表現力の幅を最大限に引き出しています。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シャイベ、ヨハン・アドルフ:リコーダー協奏曲変ロ長調

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