一日一曲(1821)ウェーバー、カール・マリア・フォン:交響曲第1番ハ長調

 本日から5回にわたって、没後200年(1826年6月5日没)を迎えらえたドイツの作曲家、カール・マリア・フォン・ウェーバーさんを特集いたします。

【カール・マリア・フォン・ウェーバー:激動のオペラ界に革命をもたらしたドイツ・ロマン派音楽の若き先駆者】

 第1日:旅の一座に生まれ、動乱のヨーロッパを駆け抜けた早熟の天才
 カール・マリア・フォン・ウェーバーは1786年11月18日頃、現在のドイツ北部にあるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のオイティーンで生まれました。父が旅回りの劇団を主宰していたため、幼少期からドイツ各地を転々とする放浪生活を送り、自然と舞台芸術の表と裏に親しむ環境で育ちます。生まれつき股関節に障害があり、歩き始めるのは遅かったものの、音楽の才能は早くから開花しました。ザルツブルクでは、高名なミヒャエル・ハイドン(大作曲家ヨーゼフ・ハイドンの弟)に師事して本格的な作曲を学び、10代前半で最初のオペラを発表しています。1804年、わずか17歳という若さでブレスラウ(現在のポーランド・ヴロツワフ)の歌劇場音楽監督に抜擢され、大胆な座席配置の変更や演目の刷新など、先進的な劇場改革に乗り出しました。しかし、あまりに急進的な改革は古参の楽員らの激しい反発を招きます。さらに私生活では、父親の作った借金問題に悩まされたほか、作業中に彫刻用の硝酸をワインと誤飲して喉を焼き、自慢の美声を永遠に失うという凄惨な悲劇にも見舞われ、わずか2年で辞任へと追い込まれました。その後、1806年にカールスルーエ(プロイセン公カルルの宮廷)の楽長に就任し、ようやく落ち着いて創作に打ち込める環境を得たものの、直後に勃発したナポレオン戦争の戦火によって宮廷が解散を余儀なくされます。若きウェーバーは、時代の荒波と個人的な不幸に幾度も翻弄されながらも、次なる天地へと向かうこととなります。

【本日のご紹介曲:交響曲第1番 ハ長調 Op.19(1806〜1807年作曲)】
 劇場を追われ、さらに戦争によって宮廷音楽家の地位も失った多難な時期に、ウェーバーが20歳頃の瑞々しい感性で書き上げた初期の器楽大作です。宮廷が解散される直前の1806年11月から、解散後の1807年1月にかけての短い期間で一気に書き上げられました。伝統的なハイドンやモーツァルトの古典派交響曲の形式を受け継ぎながらも、随所に後のロマン派音楽や、自身の本領である「オペラ(歌劇)」を予感させる劇的な仕掛けが施されているのが最大の特徴です。オーケストラの楽器、特に管楽器の扱いにおいて独自の色彩豊かなアプローチが試みられており、若きウェーバーの野心とエネルギーが細部にまでみなぎっています。

【聴きどころ】
1)劇的なオペラを予感させるドラマチックな展開と対比
 第1楽章の冒頭から、まるでこれから劇場で幕が上がり、壮大な物語が始まるかのような演劇的でスリリングな音の動きに引き込まれます。静けさと激しさが目まぐるしく入れ替わり、聴き手を飽きさせないドラマチックな工夫が凝らされています。
2)管楽器が主役のように大活躍する華やかで色彩豊かな響き
 一般的な古典派の交響曲に比べ、オーボエ、ファゴット、ホルンといった管楽器に非常に美しいソロや重要な見せ場が贅沢に与えられています。まるでオーケストラの楽器たちがそれぞれ舞台の登場人物のように個性を発揮して対話する、ウェーバーならではのカラフルな音響世界を楽しめます。
3)息をもつかせぬ疾走感あふれるフィナーレの心地よさ
 最終楽章(第4楽章)は、若きウェーバーの音楽的エネルギーが爆発するようなスピード感に満ちています。ユーモアを交えながら、オーケストラ全体が一丸となってフィナーレへと猛烈に突き進んでいく爽快感は、格別の心地よさを与えてくれます。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ウェーバー、カール・マリア・フォン:交響曲第1番ハ長調

ウェーバー、カール・マリア・フォン:交響曲第1番ハ長調(CD)

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