一日一曲(1832)ボル、モデスタ:Juangriego

 本日は、生誕100年(1926年6月15日生)を迎えらえたベネズエラの作曲家、モデスタ・ボルさんの曲をご紹介します。

【モデスタ・ボル:故郷の伝統音楽への深い愛を、近代的な響きと融合させ独自の地平を拓いたベネズエラ屈指の女性ヒットメーカー】
 モデスタ・ボルは1926年6月15日、カリブ海に浮かぶ美しいマルガリータ島の港町フアン・グリエゴに生まれました。音楽溢れる家庭環境の中で幼少期から楽典やピアノを学び、やがて本格的な音楽教育を受けるため首都カラカスへと移り住みます。カラカスでは、ベネズエラ国民楽派の父と呼ばれるビセンテ・エミリオ・ソホをはじめとする一流の音楽家たちに師事し、ピアニストとしての将来を嘱望される存在へと成長していきました。
 しかし、20代半ばを迎えた1951年、彼女の人生を揺るがす大きな試練が訪れます。ベネズエラ国内で初となる「ギラン・バレー症候群」を発症したのです。この病によって全身の神経が侵され、それまで築き上げてきたピアニストとしての有望なキャリアの道は完全に閉ざされてしまいました。しかし、彼女は絶望に屈することなく、自らの創造性を「作曲」へと注ぎ込む決意を固めます。16年もの歳月を費やして学び、1959年にはホセ・アンヘル・ラマス音楽学校で作曲の修士号を取得しました。
 1960年には更なる研鑽を積むため海外へ留学し、モスクワのチャイコフスキー音楽院で巨匠アラム・ハチャトゥリアンに師事しました。これはベネズエラの女性として初の音楽留学という快挙でもありました。留学を終えて帰国した後は、国立フォークロア調査サービスで音楽学部門の責任者を務め、ベネズエラ伝統の民俗音楽を収集・研究する活動に情熱を注ぎます。その後も数々の合唱団を指揮し、音楽教育者としても多大な貢献を残しながら精力的に作品を発表し続け、1990年にはメリダへと移住しました。1998年4月7日、そのメリダの地で71年の生涯を閉じましたが、彼女が残した200曲を超える合唱曲やピアノ曲、管弦楽曲は、今なおベネズエラ音楽の至宝として愛され続けています。

【本日のご紹介曲:『Juangriego(フアン・グリエゴ)』】
 このピアノ作品は、モデスタ・ボルが闘病生活を始めてから数年後の1954年に作曲されました。タイトルの「Juangriego(フアン・グリエゴ)」は、まさに彼女自身が生まれ育った故郷の町の名前です。
 初期の彼女のスタイルである「ベネズエラ国民楽派」の瑞々しい魅力に溢れており、ベネズエラ・ワルツ(Valse venezolano)の軽快でどこか哀愁を帯びた独特の構造を持っています。闘病により自らの手でピアノを披露する道は絶たれたものの、故郷の原風景をピアノの鍵盤に託したかのような、愛着と情熱が凝縮された小品です。

【聴きどころ】
1)2拍子と3拍子が織りなす「ヘミオラ」のマジック
 この曲の最大の特徴は、ベネズエラ・ワルツ特有のリズムにあります。小節の中で2拍子的なアクセントと3拍子的なアクセントが複雑に交錯し(ヘミオラ効果)、聴き進むにつれてその変化が豊かになっていくため、弾むような心地よいグルーヴ感を味わうことができます。
2)哀愁から輝きへ向かう調性のドラマ
楽曲の前半は、少し切なさを帯びた「ロ短調」で始まりますが、音楽が展開するにつれて徐々に明るい「二長調」へと着地します。この調性の変化が、南国の光と影を映し出すかのような美しい色彩感を生み出しています。
3)中間部で魅せるダイナミックな「手の交差」
曲の中盤に入ると、両手を激しく交差させて演奏するテクニカルなパッセージが登場します。旋律の動きがより連続的になり、徐々に音の厚みを増しながら、感情が高まるようなクライマックスへと一気に駆け上がっていく展開は圧巻です。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ボル、モデスタ:Juangriego

ボル、モデスタ:Juangriego(amazon music)

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です